79歳の今なお、現役で活躍中の俳優・長塚京三さん。
長身で上品な紳士という印象ですが、実は学歴も超一流なんです。
この記事では、俳優長塚京三さんの学歴についてご紹介します。ペラペラのフランス語を話す動画も載せていますので、ぜひご覧ください。
会見でペラペラのフランス語を披露した長塚京三
長塚京三さんの学歴の話題に入る前に、まずはこちらの動画をご覧ください。
これは、2025年1月14日に行われた、長塚京三さん主演の映画『敵』の日本外国特派員協会記者会見の模様です。
日本外国特派員協会の会見では、登壇者が外国語で挨拶する習わしがあり、長塚京三さんは流暢なフランス語で挨拶しました。
原稿を読みながらではありますが、文章は長塚さん本人が作成していますし、読み上げる際には、記者席に目を配りながらスラスラと話しています。長塚京三さんのフランス語はカタコトではなく、話し慣れている印象ですよね。
そんなフランス語ペラペラの長塚京三さんは、どのような教育を受けてきたのでしょうか?
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長塚京三の学歴は?

長塚京三さんの学歴について調べてみたところ、小学校から高校までの出身校の情報は見つかりませんでした。
しかし、大学以降の学歴を調べてみると、長塚さんはかなりのインテリであることが分かりました。
長塚京三はインテリ!高校卒業後は早稲田大学へ進学し演劇の道へ
長塚京三さんは高校卒業後、早稲田大学第一文学部演劇科に進学しました。
演劇科に進学した理由については、
あんまり人が行かないようなところに行っただけ(笑)。将来の仕事なんかとは関係なく、ちょっと毛色の変わった学部に行ってみようかなと、衝動的に。
https://fujinkoron.jp/articles/-/12235?page=2
とのこと。
当時から役者を志していたわけではないんですね。
しかし、長塚京三さんは幼少期から読書や映画鑑賞が好きだったそうなので、演劇の世界に多少興味があったのかもしれません。
そんな長塚京三さんは、大学の学生劇団「木霊(こだま)」にも入団。1年生のときにはゴーリキーの『どん底』の盗賊・ペペル役で大隈講堂の舞台に立ち、裏方としても経験を積んでいきました。
ちなみに劇団員仲間には元アナウンサーの久米宏さんや、元政治家の田中真紀子さんもいたそうですよ。
演劇にのめり込んだ長塚さんはその後、自身でも劇団を立ち上げ、ジャン・コクトーの『ルノーとアルミード』や、ピランデルロの『エンリコ四世』、ベケットの『勝負の終わり』などを演じました。
このように充実した大学生活を送っていた長塚さんでしたが、学生運動というアクシデントに見舞われてしまいます。
学生運動の影響でフランスの名門・ソルボンヌ大学へ留学
大学でストライキ(早大闘争)の影響で、学生生活も演劇活動もままならなくなった長塚京三さんは、「どこか遠くへ行きたい」と、早稲田大学を中退し、海外の大学への進学を決意しました。
そして選んだのが、フランス・パリにある名門・ソルボンヌ大学です。
ソルボンヌ大学入学へ向けて、まずはバカロレアという大学入試資格を取得するためのプログラムに参加。
また語学学校へも通いながら、通訳のバイトを行うなどしてフランス語のスキルアップを図りました。
当初は2年間の留学の予定でしたが、入学の準備期間から卒業まで計6年間フランスで過ごすこととなりました。
ちなみに渡仏前の長塚京三さんのフランス語レベルは、大学で第二外国語として学んだのと、パリ行きが決まったあとに、フランス語のレコードを聞いて学んだ程度だったそうです。
現代のように留学サポートが充実していた時代ではないでしょうから、苦労も多かったのではないでしょうか。
ソルボンヌ大学のレベルは?
長塚京三さんが通ったソルボンヌ大学は、世界で最も古い大学の一つである名門校です。
フランスには日本のような入試システムがないため、日本と同基準の偏差値でレベルを示すことは難しいのですが、2024年のフランス国内大学ランキングでソルボンヌ大学は2位に、QS世界大学ランキングでは59位にランクインしています(東京大学28位、早稲田大学199位)。
ソルボンヌ在学中に映画「パリの中国人」主役に抜擢!
長塚京三さんはソルボンヌ大学在学中に映画『パリの中国人』(1974年公開)の主役に大抜擢され、俳優デビューを果たしました。
きっかけは長塚さんがフランス語を教わっていた女性教師でした。
彼女は、俳優ジャン=ポール・ベルモンドのマネージャーなど、映画業界に友人が多い人で、ある日、映画関係者から「中国人役を探している」という相談を受け、長塚さんを紹介したそうです。
長塚さんがオーディションに参加すると、『パリの中国人』のジャン・ヤンヌ監督は理想の人物像そのままの長塚さんをすぐに気に入り、即採用。
『パリの中国人』は当時のフランス映画界のスター俳優が多数出演する注目作でした。また、街なかに貼られた長塚京三さんと白人女性が踊る姿が描かれた映画ポスターも巷の話題になっていたそうです。
このままフランスで俳優生活スタートかと思いきや、その後は『マイラブ』という作品のワンシーンに出演したのみ。長塚さんとしては、俳優はあくまで思い出づくりに過ぎず、『パリの中国人』出演後は、フランス文学についての論文制作に勤しんでいたそうです。
※長塚京三さんは2022年におよそ50年ぶりにフランス映画『UMAMI』に出演しています。
大学の夏休みに一時帰国し、日本で俳優活動開始
1974年8月。日本での就職を視野に入れていた長塚京三さんは、学生最後の夏休みに日本の様子を知るために一時帰国します。
すると、『パリの中国人』が日本国内でも話題になっており、長塚さんの一時帰国を聞きつけたTBSドラマ『樹氷』のプロデューサーのオファーをうけて、翌9月から日本で俳優生活をスタートさせました。
その後の活躍はみなさんご存知の通りです。
まとめ:長塚京三は早稲田大学で演劇に出会い、留学中に俳優デビュー
長塚京三さんは早稲田大学第一文学部演劇科を中退し、その後、フランス・パリのソルボンヌ大学を卒業しました。
早稲田大学時代に演劇に出会い、フランス留学中に知人の紹介でフランス映画『パリの中国人』で主演し話題に。その後、逆輸入という形で日本で俳優デビューを果たしています。
運と縁に恵まれた俳優デビューではありますが、本人が努力して早稲田大学へ進学し、フランスで大学受験資格を取得して、名門大学したことで生まれたチャンスなわけですから、長塚さんは自身の学力で俳優人生を切り開いた方であると言えるでしょう。