元横綱の曙太郎さんが2024年4月上旬に心不全のため亡くなりました。
曙さんは、貴乃花や若乃花らとともに、相撲の全盛期を盛り上げた大横綱でしたが、引退後は、角界から離れ格闘家に転身しました。
引退後は病気に苦しんだ曙さん。「引退後に親方になっていたら」と惜しむ声は今でも聞かれます。
そこでこの記事では、曙さんが相撲引退後に親方にならなかった理由について解説します。
元横綱・曙太郎さん、54歳の若さで死去
2024年4月上旬、相撲人気を牽引した第64第横綱・曙太郎さんが心不全のために54歳でなくなりました。
曙太郎さんは外国出身力士として史上初めて横綱に上り詰めた、相撲界のレジェンドでした。
初土俵は1988年3月場所。2001年1月に引退後は現役名で部屋付き親方として東関部屋で後輩指導にあたっていましたが、2003年11月に相撲協会を退職し、K-1選手に転向します。
その後は総合格闘家、プロレスラーとしても活躍しましたが、選手時代を通して怪我に悩まされていました。
2017年4月にはプロレス興行のために訪れた福岡県で心不全に。一命を取り留めたものの、その後は最期まで長い闘病生活の日々でした。
長きに渡って怪我や病気と戦ってきた曙さん。もし引退後に親方となり、勝負の世界から退いていたら運命は変わっていたのでは?と考える人も少なくありません。
では、曙さんはなぜ親方を続けなかったのでしょうか?
曙が親方にならなかった理由とは?
曙太郎さんは引退後、横綱の特例として現役名で東関部屋の部屋付き親方になりましたが、5年間の在任期間があるにも関わらず、わずか2年ほどで日本相撲協会を退職し、相撲の世界から離れてしまいました。
年寄名跡を襲名し東関部屋を継ぐのが順当かと思われましたが、そうしなかった(できなかった)のには理由があります。
曙さんが親方にならなかった一番の理由は
後援会の支援を失い年寄株を取得できなかった
ということです。
曙さんは現役時代に、後援会の反対を押し切り今の奥様・クリスティーンさんと交際→授かり婚をしたため、怒った後援会が解散してしまいます。
(当時、東関親方=元高見山関 は曙関に、自分の娘と結婚し部屋を継いで欲しいと願っていたという情報もあります)
後援会解散によって資金面で後ろ盾を失った曙さんは、貯金を切り崩して生活するほどで、当然、高額の年寄株も買うことができず、年寄名跡を襲名できませんでした(=親方になれなかった)。
そんなタイミングで高額のファイトマネーが手に入るK-1からのスカウトがあったため、相撲協会を辞職したというのが一般的に言われている事情です。
ちなみに曙さんに跡を継いでほしかった東関親方は、曙さんの退職について「裏切られた」と語っています。
本当は相撲協会を辞めたくなかった曙
親方になれず、相撲界を去った曙さんですが、本当は相撲協会に残りたかったそうです。
元相撲協会外部委員のやくみつるさんの証言によると、曙さんは格闘家転身後に、『本当は辞めたくなかった』と語っていたとのこと。
さらに、やくさんは部屋付き親方時代の曙さんのエピソードについても語っています。
彼が部屋付き親方時代に、何度か一緒に地方のイベントに行ったりして、風呂場で一緒になったことがあったんです。その時に弟子育成の話とかを伺って、親方としてすごく意欲を持っておられた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/051e14b0ab3e841120545b5017e36d4f559a8adc
相撲協会退職後、角界とは疎遠になっていた曙さんでしたが、2013年に当時の東関親方(元幕内・潮丸)からの要請で師範代として東関部屋の稽古に参加しました。
その時曙さんが涙ながらに語った言葉です。
「部屋にきていいのか悩んだが、相撲、部屋を愛している。すべてはここから始まったんです。曙太郎の本籍ですから」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed85cff065903b2d859c1c6c88718aa3b3b86776
曙さんは、親方にはなれなかったものの、力士引退後も常に相撲界を愛し、発展を願いつづけていたことが伺えます。
K-1転身も相撲に貢献するためだった
2005年発行のNumber627号のインタビューで、曙さんはK-1やWWE(アメリカ合衆国のプロレス団体及び興行会社)に参戦した理由は、人脈づくりだと語っています。
何の人脈かというと、アメリカで相撲の団体を設立するための人脈です。
曙さんは、ただのスポーツではなく、文化としての”本物の相撲”を母国に伝えるんだという使命感を抱いていました。
そんな曙さんは、横綱時代からは想像できないK-1でのショッキングな敗戦について、こう語っています。
「目先の白星、黒星よりも、もっと大きいものを見て、闘っているつもりなんです。もっと深い意味のある、本当の勝負を今、やっています」
https://number.bunshun.jp/articles/-/821400
さらに次のような名言も。
「僕は一生横綱です。その誇りを持って今、人生の横綱になろうとしている。今でも相撲のためにできることがあれば、すぐに飛んでいきますよ。」
https://number.bunshun.jp/articles/-/821400
曙さんは輝かしい横綱時代ばかりが注目されがちですが、引退後の精神も生き様も、生涯を通して最強の横綱だったのだと改めて感じさせられました。
改めて、曙さん、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
心より御冥福をお祈りいたします。